歴史のはじまりは、900年余年もの昔。
1666年(寛文6年)に保科正之によって編纂された「会津風土記」によれば、900余年の昔、平安末期に高半旅館の祖、高橋半六により温泉が発見されたことから、湯煙に包まれた歴史が始まったことが記されています。
三国街道とともに発展。
上野・信濃・越後 三か国の国境である「三国峠」に由来する「三国街道」。
戦国時代に活躍した上杉謙信は、とても厳しいこの峠を十数回にも及んで越えたとと言われています。江戸時代には、佐渡金山への最短ルートとして江戸幕府からも重要視され、「殿様街道」と呼ばれてきました。佐渡の金はもちろん、越後の米や塩などの輸送路としても使われるように。
こうして「湯沢」は、三国街道が発展するとともに、旅人たちの疲れを癒し、賑やかで華やかな「宿場町」として、全国に知られていきました。
「宿場町」として、北国の中心地に。
雪国の風土・文化・民族やその暮らしぶりなど、当時のライフスタイルは、1841年(天保12年)に発行された「北越雪譜」という書物に詳しく記してあります。この本には、一年のうち8ヶ月もの間、雪に覆われた北国での生活で培われた人々の心のありようと、湯けむりに包まれ、賑わいを見せる当時の「湯沢」の様子が描かれています。塩沢出身の鈴木牧之による、当時のベストセラー。
「湯沢」が、当時の人々から非常に注目されていたことが分かります。
「雪国」の時代を色濃く写して。
1931年(昭和6年)に上越線が開通。関東からも峠を気軽に越えてアクセスできるようになり、新たな温泉開発も成功。湯量も豊富なことから、温泉宿も次々と増え、「越後湯沢」は、温泉街として一気に発展しました。川端康成が訪れたのもちょうどこの開発の活気に溢れる真っ只中。1935年には「雪国」が発表されると、越後湯沢にはますますの注目が集まりました。こういった時代背景を元に考えると、「雪国」に描かれている越後湯沢は、感度の高い人々に注目される、最新の逗留地・リゾート地であったことが感じられます。
湯けむりの歴史は現代にも。
昭和57年、上越新幹線が開通すると、スキーブームの中心地として街は発展を続けました。数多くのゲレンデが竣工するのと合わせて、幻想的な雪景色は、数々の映画やドラマの舞台として描かれるようになりました。
湯けむりに包まれる、宿場町の賑わい。歴史と伝統の全てが「雪の花」で蘇る。
「雪の花」は、湯けむりに包まれたこの地の歴史や伝統を、細やかな意匠へと昇華しました。館内には、「北越雪譜」にインスパイアされたあしらいや、昭和をモチーフにした照明などが随所に散りばめられています。「雪の花」で蘇る、江戸時代の宿場町としての賑わいや、昭和の逗留地・リゾートとしての活気付く街並み。
ぜひ、様々な時代に思い馳せるように、ご宿泊をお楽しみください。どこか懐かしく、モダンなお宿として「雪の花」は新しい歴史を作ってまいります。